
二十世紀梨とは?ゴミ捨て場で見つかった1本の木の話
こんにちは、ときわオンラインのヨシハマです。
いま日本で作られている二十世紀梨は、すべて1本の木の子孫です。
その木は、ゴミ捨て場に生えていました。
見つけたのは、13歳の少年。
・・・作り話みたいですが、本当の話なんです。
そして、その少年がつけた名前は「二十世紀」ではありませんでした。
今日は、青梨の王様と呼ばれるこの梨について、
知っていることを全部お話しします。
- ゴミ捨て場から始まった、120年以上前の物語
- なぜ「二十世紀」という名前になったのか
- 原樹はどうなったのか(悲しい話です)
- なぜ鳥取が日本一なのか
- 二十世紀梨が他の産地に広がらなかった理由
- 味の特徴と、美味しい食べ方
梨を1個食べる前に、これを知っているかどうかで、味わいが変わると思います。
それでは、いきましょう!
二十世紀梨は「青梨」の代表選手です

まず、基本から。
日本の梨(和梨)は、皮の色で2つに分かれます。
赤梨と青梨です。
| 比べるところ | 赤梨 | 青梨 |
|---|---|---|
| 皮 | 赤茶色でザラザラ | 黄緑色でつるつる |
| 味 | 甘みが強い | すっきりした甘さと爽やかな酸味 |
| 代表品種 | 幸水、豊水、あきづき | 二十世紀、かおり、菊水 |
二十世紀梨は、青梨の代表です。
というより、青梨といえば二十世紀と言っていいくらいの存在。
お客様からいただいたレビューに、こんな言葉がありました。
> 瑞々しさ、シャキシャキ食感、バランスの良い甘さ、青梨の王様と言うだけの事はあります。
青梨の王様。
いい表現だなと思って、ずっと覚えています。
※【参考】赤梨と青梨の違いは、こちらで詳しくまとめています。
1888年、ゴミ捨て場で見つかった苗

さて、ここからが本題です。
1888年(明治21年)。
千葉県の大橋村――いまの松戸市二十世紀が丘梨元町です。
13歳の松戸覚之助(まつど かくのすけ)という少年が、
親戚の石井佐平さんの家を訪ねました。
そこで彼が目にしたのが――
ゴミ捨て場に生えていた、小さな梨の苗木。
誰かが捨てた梨の種から、勝手に芽を出したものだったのでしょう。
普通なら、見過ごします。
でも覚之助少年は、その苗をもらい受けて、自分の家に植えました。
13歳ですよ。
「この木、なにか違うかもしれない」
そう思ったのか、ただ面白がったのかは分かりません。
でも彼はその木を、10年間育て続けました。
10年後、ついに実がなった

1898年(明治31年)。
覚之助は23歳になっていました。
そして、あの木がついに実をつけたんです。
食べた人たちは、口々に驚いたと伝わっています。
果汁が多くて、甘くて、果肉がやわらかい。
評判は広がり、ついには当時の総理大臣大隈重信まで食べて、
高く評価したという話が残っています。
覚之助はこの梨に、名前をつけました。
「新太白(しんたいはく)」。
・・・そう、最初は「二十世紀」ではなかったんです。
なぜ「二十世紀」になったのか

名前が変わったのは、1904年(明治37年)のことです。
覚之助から苗木を譲り受けていた渡瀬寅次郎という人物が、
東京帝国大学の池田伴親に相談しました。
そして、こう提案します。
「二十世紀」はどうか。
理由は、はっきりしていました。
これから始まる20世紀を代表する梨になってほしい。
覚之助は、この名前を受け入れました。
・・・考えてみてください。
1904年といえば、20世紀が始まってまだ4年目です。
これから100年が始まる、というタイミングで、
「この梨が、その100年を代表する」と名づけた。
とんでもない自信だと思いませんか。
僕はこの話を知ったとき、正直しびれました。
そして実際、この梨は120年以上経ったいまも作られ続けています。
名前負けしなかったわけです。
同じ1904年、鳥取へ渡る
そして面白いのが、改名と同じ年に起きたことです。
1904年の春。
鳥取の松山村――いまの鳥取市桂見で農業をしていた、
北脇永治(きたわき ながじ)という26歳の青年がいました。
彼は覚之助の農園を訪ね、苗木を10本買い付けます。
これが――
鳥取の二十世紀梨の始まりです。
たった10本の苗木。
そこから鳥取は、日本一の二十世紀梨の産地になりました。
いま二十世紀梨の生産量は、鳥取県が全国の約半分を占めています。
**ゴミ捨て場の苗が、13歳の少年に拾われ、
26歳の青年が10本買って持ち帰り、
県をまるごと代表する名産になった。**
果物の歴史って、こういうことが本当にあるんですね。
原樹は、どうなったのか

ここからは、少し悲しい話です。
覚之助が育てたあの原樹は、その後どうなったのか。
1935年(昭和10年)。
原樹は、国の天然記念物に指定されました。
ゴミ捨て場から拾われた木が、国の宝になったわけです。
ところが――
1944年(昭和19年)11月22日の夜。
太平洋戦争の空襲で、原樹は被害を受けました。
そして3年後の1947年(昭和22年)。
原樹は、枯れてしまいます。
・・・59年の生涯でした。
いま、原樹の一部は松戸市立博物館と、
鳥取の二十世紀梨記念館で展示されているそうです。
木そのものは、もうありません。
でも、覚之助が接ぎ木で増やした子孫たちが、
いまも全国で実をつけている。
二十世紀梨は種で増やせない品種なので、
いま僕たちが食べている二十世紀梨は、
すべてあの原樹から接ぎ継がれてきたものです。
1本の木が、120年以上生き続けている。
そう考えると、なんだかすごいことだと思いませんか。
なぜ、他の産地に広がらなかったのか

ここで、ひとつ疑問が浮かびます。
これだけ美味しくて、これだけ有名なのに、
なぜ二十世紀梨は鳥取に集中しているのか。
答えは――
育てるのが、めちゃくちゃ大変だからです。
黒斑病という、最大の敵
二十世紀梨には、決定的な弱点があります。
黒斑病(こくはんびょう)という病気に、とても弱いんです。
葉や実に黒い斑点ができて、商品にならなくなってしまう。
二十世紀梨の栽培において、最重要の病害とされています。
だから、袋をかける
対策として行われるのが、袋かけです。
実の一つひとつに、袋をかぶせて守る。
しかも――
二十世紀梨は、この袋かけを2回やります。
小さい袋をかけて、その上からさらに大きい袋をかける。
一本の木に何百個と実がなるわけですから、
その全部に、手作業で、2回。
想像しただけで気が遠くなりますよね。
でも、この袋かけがあるから、
- 黒斑病を防げる
- 虫の被害を防げる
- あの、つるつるした黄緑色の肌になる
あのきれいな肌は、手間の結晶なんです。
手間が、産地を選んだ
高値で取引される高級梨でありながら、
他の地域に二十世紀梨の栽培が根づかなかったのは、まさにこの手間のせいです。
鳥取の農家さんたちは、長い年月をかけて、
袋かけや剪定の独自の技術を磨いてきました。
「病気に弱くて育てにくい」という弱点を、技術で克服した。
だから鳥取が日本一なんですね。
産地というのは、たまたまできるものではない——
この話を知ってから、そう思うようになりました。
味と、食べ方のこと

歴史の話が長くなりました。味の話をします。
二十世紀梨の特徴は、はっきりしています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大きさ | 300gくらい |
| 果肉 | やわらかく、果汁が多い |
| 食感 | シャキシャキ |
| 味 | すっきりした甘さと、爽やかな酸味 |
| 旬 | 8月下旬〜9月中旬(9月が最盛期) |
赤梨(幸水や豊水)のような、ガツンとくる甘さではありません。
甘みの中に、さわやかな酸味がある。
そこが良さなんです。
以前、お客様のレビューにこう返信したことがあります。
「勢いは赤梨に完全に押されていますけど、赤梨にはない、さっぱりした甘みとシャキシャキ食感があって、おいしいですよね」
いまも同じ気持ちです。
赤梨は「甘い!」で終わる。
青梨は「食べる手が止まらない」。
一口食べると、さっぱりした果汁が口いっぱいに広がって、
気がつくと1玉食べ終わっている。
そういう梨です。
年配の方に「二十世紀でないとダメ」という方が多いのも、
この味を知っているからだと思います。
食べ方のコツ
● 冷やしてから
食べる2〜3時間前に冷蔵庫へ。
冷やしすぎると甘みを感じにくくなるので、
キンキンにしすぎないのがポイントです。
● 皮は薄めにむく
皮のすぐ下がいちばん甘いので、薄くむいたほうが得です。
● 追熟させない
これ、大事です。
和梨は追熟しません。
洋梨と違って、置いておいても甘くなりません。
むしろ水分が抜けて、味が落ちていくだけです。
届いたら、なるべく早く食べる。
これが正解です。
保存するなら、1個ずつ新聞紙やキッチンペーパーで包んで、ポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室へ。
ヘタを下にすると長持ちします。
それでも1週間ほどが目安です。
うちの二十世紀梨は、鳥取の「まえた農園」さん

うちで扱っている二十世紀梨は、
鳥取県鳥取市河原町のまえた農園さんが育てたものです。
園主は前田真也さん。4代目にあたります。
驚くのは、その歴史です。
梨を最初に植えたのは、前田さんの曾おじいさん。
その木から続く、約100年の梨農園なんです。

・・・お気づきでしょうか。
鳥取に二十世紀梨が渡ったのが1904年。
まえた農園さんの歴史は、ほぼその歴史と重なっています。
北脇永治が10本の苗木を持ち帰った、あの流れの中に、
ずっといる農園ということですよね。
農園のかたわらには、シンボルのログハウスが建っています。
減農薬・有機質肥料主体の栽培で、
昔ながらのやり方を大切にされている農園です。
今年(2026年)は、正直にお伝えします
ひとつ、書いておかなければいけないことがあります。
今年は不作です。
春先の気象の影響で、病気や傷が多く、収量も少ない年になりました。
まえた農園さんは、作付けの約7割が二十世紀梨という農園です。
その主力が、今年は厳しかった。
そのため今年は、訳あり品のみの取り扱いとさせていただいています。
小玉のものや、傷があるものが混ざります。
そこは正直にお伝えしておきます。
でも――
味は変わりません。
実際、去年までのレビューでも、こんな声をいただいています。
> 少し小ぶりですが、10個入ってました。痛みもなく新鮮で美味しかったです。
> 少し小さめですが傷や痛みも無く、ジューシーでとても美味しかったです。
> シャキシャキしててみずみずしくて久しぶりに20世紀梨を食べたーって満足しました。スーパーでも買うんですが、色が黄色になってるものが多くどこかフニャとしてて美味しいけどまんぞくできなかったんです。昔食べたままの梨を食べれました。
最後の一言、いいですよね。
「昔食べたままの梨」。
これ以上の褒め言葉はないと思います。
※【参考】訳ありがなぜ安いのか、中身は同じなのかについてはこちらに書きました。
もうひとつ、お伝えしておきたいこと
二十世紀梨は、シーズンが短いです。
うちで扱えるのは、だいたい8月下旬から9月中旬まで。
ひと月ないんですよね。
レビューにも、こんな声がありました。
> 短い期間しか味わえない20世紀梨が大好きなので、9月は毎日楽しめました。
「短い期間しか味わえない」。
そのとおりなんです。
しかも近年は、年々出荷が早まっています。
今年(2026年)の初発送は8月23日でした。
「二十世紀梨は9月の梨」と思っていると、
気づいたときには終わっているということが起こります。
気になる方は、早めに動いたほうがいいと思います。
まとめ:1本の木から始まった120年

今日のお話を、まとめますね。
- 二十世紀梨は青梨の代表。すっきりした甘さと爽やかな酸味が特徴
- 1888年、13歳の松戸覚之助がゴミ捨て場で苗木を見つけた
- 10年育てて1898年に初結実。当初の名前は「新太白」
- 1904年、「20世紀を代表する梨に」との願いで「二十世紀」に改名
- 同じ1904年、北脇永治が苗木10本を鳥取へ。これが日本一の産地の始まり
- 原樹は1935年に国の天然記念物になるも、1944年の空襲で被災し1947年に枯死
- 種で増えない品種なので、いまの二十世紀梨はすべてあの原樹の子孫
- 黒斑病に弱く、袋かけを2回もする。この手間が他産地に広がらなかった理由
- 鳥取は技術でその弱点を克服し、全国の約半分を生産している
- 和梨は追熟しない。届いたら早めに食べるのが正解
- 旬は8月下旬〜9月中旬。近年は出荷が年々早まっている
ゴミ捨て場に生えていた1本の苗。
それを13歳の少年が拾って、10年育てた。
その木は空襲で焼けて、もうこの世にありません。
でも――
接ぎ木で受け継がれた子孫が、いまも毎年、実をつけている。
僕たちがスーパーで何気なく手に取る二十世紀梨は、
その120年の先端にある実なんですよね。
そう思って食べると、ちょっと違って見えませんか。
うちでは、鳥取・まえた農園さんの二十世紀梨を農家直送でお届けしています。
4代・約100年の農園が育てた、約120年の歴史を持つ品種。
シーズンは短いので、気になる方はお早めにどうぞ。
本日は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ときわオンラインのヨシハマでした。
それでは〜!
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