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スイカはいつから夏の定番に?果物屋がたどる、4000年のスイカ大冒険史

スイカ歴史

こんにちは、ときわオンラインのヨシハマです。

ふと、思ったんです。

スイカって、日本の夏の定番ですよね。
これはもう、誰もが認めるところだと思います。

セミの声、入道雲、縁側、そしてスイカ。
これだけで「日本の夏」が完成しちゃう(笑)

でも、ある日ふと気になったんです。

「スイカって、いつからこんなに夏の定番になったんだろう?」

僕のイメージだと、戦前・戦後にはもう定番だった気がするんですよね。
ほら、アニメの『火垂るの墓』で、節子がスイカを食べている、あの切ないシーンが印象に残っていて。

あれは終戦直後の話ですから、「その頃にはもう、スイカは当たり前にあったんだろうな」と。

でも、じゃあその前は?
そもそもスイカって、大昔から日本にあったの?
昔のスイカって、今みたいに甘かったの?

――気になりだしたら止まらなくなって、果物屋として、スイカの歴史をとことん深掘りして調べてみました。

これがもう、想像以上に壮大な物語だったんです。

スイカが大好きという方にこそ読んでほしい、4000年のスイカ大冒険史。
わかりやすくお伝えしていきますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

それでは、行きましょう。

スイカのふるさとは、灼熱のアフリカ大陸だった

スイカ歴史

まず一番びっくりしたのが、スイカの「出身地」です。

スイカの原産地は、なんとアフリカ大陸

それも、南アフリカのカラハリ砂漠とその周辺のサバンナ地帯が有力だと言われているんです。

砂漠ですよ、砂漠。

考えてみれば、納得なんですよね。

スイカって、約90%が水分でできています。
あの分厚い皮の中に、たっぷりの水を蓄えている。

水の少ない砂漠で生き抜くために、体の中に「水筒」を持つように進化したのが、スイカのご先祖さま。

砂漠を旅する人や動物にとって、スイカは「歩く水分補給ステーション」だったわけです。

夏にスイカを食べると体がスーッとするのは、こういうルーツがあったからなんですね。
なんだかロマンを感じませんか?

古代エジプトのスイカは「甘くなかった」って本当?

スイカ歴史

スイカの歴史は、とにかく古いんです。

なんと紀元前4000年ごろには、すでに栽培されていたとみられています。

今から約6000年前ですよ。
ピラミッドより前の話です(笑)

古代エジプトでは、4000年前の壁画にスイカらしき絵が描かれていて、あの有名なツタンカーメンのお墓からも、スイカの種が見つかっているんです。

ファラオもスイカを食べていた、ということですね。

でも、ここで衝撃の事実。

当時のスイカは、今みたいに甘くなかったらしいんです。

しかも、果肉は赤ではなく黄色っぽい色で、古代の人たちは果肉よりも「種」を食べていたと言われています。

え、種!?

そう、種を炒って食べたり、すりつぶして食べたりしていたんだとか。
あの赤くて甘い果肉をかぶりつく、という今の食べ方とはまったく違ったんですね。

砂漠の「水筒」として始まったスイカが、今のスイカになるまでには、まだまだ長い長い旅が必要だったわけです。

「西瓜」という名前に隠された、東への長い旅

スイカ歴史

スイカって、漢字で書くと「西瓜」ですよね。

これ、僕も今回調べて「なるほど!」と膝を打ったんですが、ちゃんと意味があったんです。

アフリカで生まれたスイカは、やがてシルクロードなどを通って、ユーラシア大陸を東へ東へと旅していきます。

そして中国に伝わったとき、中国から見て「西の方角(中央アジア)から来た瓜」だったので、「西の瓜」=「西瓜(シーグァ)」と名付けられたんです。

つまりこの漢字、スイカが「西から来た」という壮大な旅の記録そのものなんですね。

ちなみに、「スイカ」という読み方も、この中国語の「西瓜(シーグァ)」が変化したもの、と言われています。

普段なにげなく呼んでいる「スイカ」という言葉に、アフリカから中国を経て日本へ、という何千キロもの旅が刻まれている。

そう思うと、次にスイカを買うとき、ちょっと見る目が変わってきませんか?(笑)

日本に来たのはいつ?諸説ある「スイカ伝来ミステリー」

スイカ歴史

さて、いよいよ日本への上陸です。

実はこれ、はっきりとはわかっていないんです。
いくつかの説があって、まるでミステリーみたいで面白いんですよ。

説その1:ポルトガル人が長崎に持ち込んだ説
天正7年(1579年)、ポルトガル人が長崎に、カボチャと一緒にスイカの種を持ち込んだ、という説。

説その2:隠元(いんげん)禅師が中国から持ち帰った説
慶安年間(1648〜1652年ごろ)、あの「インゲン豆」で有名なお坊さん・隠元禅師が、中国から持ち帰った、という説。

説その3:もっと古くからあった説
平安末期〜鎌倉時代に描かれた『鳥獣人物戯画』に、縞模様の作物を運ぶウサギの絵があり、「これはスイカでは?」とも言われています(※これには異論もあります)。

江戸時代の農業書『農業全書』(1697年)には、「寛永の末ごろに初めて種が来た」という記述もあって、だいたい戦国時代の終わり〜江戸時代の初めに日本へやってきた、というのが有力なようです。

伝来の時期ひとつとっても、こんなにドラマがあるんですね。

江戸時代、赤いスイカは意外と「ゆっくり」広まった

日本に来たスイカですが、実はすぐに大ブームにはならなかったんです。

『農業全書』には「肉赤く味勝れたり(果肉が赤くて味が優れている)」という記述もあるので、美味しいとは思われていたようなんですが、全国に広まったのは、江戸時代も後半になってからでした。

理由のひとつとして、一説には、

「果肉が真っ赤なのが、当時の日本人には馴染みがなくて、ちょっと気味悪がられたのでは?」

なんて話もあります。
(これは確かな記録というより、言い伝えに近い話なので、「そういう説もあるんだ」くらいに思ってくださいね)

たしかに、見たこともない真っ赤な果肉の食べ物がいきなり出てきたら、昔の人はびっくりしたかもしれません(笑)

それでも江戸後期になると、各地で栽培が広がり、黒い皮の品種を中心に、少しずつ庶民の口にも入るようになっていきました。

スイカが日本の夏に根を張るまでには、数百年という時間がかかっているんですね。

スイカが「甘く」なったのは、実はわりと最近の話

スイカ歴史

ここが、今回一番お伝えしたいポイントかもしれません。

僕たちが「スイカ=甘い果物」だと思っているのは、実はそんなに古い話じゃないんです。

さっきもお話ししたように、昔のスイカは今ほど甘くありませんでした。

スイカは、果肉を「赤くする」遺伝子と「甘くする」遺伝子がペアになっているという性質があるそうで、人々が「より赤く、より甘く」と選び育てていくうちに、だんだん今のスイカに近づいていったんです。

そして日本では、明治時代になると、アメリカ・ロシア・中国などから新しい品種がどんどん入ってきて、品種改良が一気に加速します。

1926年(大正15年)には、奈良県で緑地に黒い縞模様の「大和(やまと)」という国産の優良品種が生まれました。

こうした品種改良の積み重ねがあって、ようやく「甘くてみずみずしい、ザ・スイカ」ができあがっていったわけです。

今では「糖度12〜13度以上で甘いスイカ」と言われますが、中には糖度20度を超えるような、びっくりするほど甘い品種も登場しています。

昔の人がタイムスリップして現代のスイカを食べたら、あまりの甘さに腰を抜かすかもしれませんね(笑)

※【参考】果肉が黄金色で衝撃の甘さ、糖度20度クラスの幻のスイカについてはこちらで紹介しています。
→ スイカ「金色羅皇(こんじきらおう)」とは?黄金の果肉を持つ幻のスイカを徹底解説

「夏の定番」を決定づけたのは、種なし・小玉スイカと「冷蔵庫」だった

スイカ歴史

さあ、いよいよ冒頭の疑問。

「スイカは、いつから夏の定番になったのか?」

その答えに近づいてきました。

実は、スイカが日本の夏に完全に定着したのは、戦後(昭和の中ごろ)だと考えていいと思います。

ヨシハマさんが思い浮かべた『火垂るの墓』は終戦直後の話ですが、そこからさらにスイカを「国民的な夏の味」へと押し上げた立役者がいるんです。

立役者その1:種なしスイカの発明(1942年)
京都大学の木原均(きはらひとし)博士が、種なしスイカを発明しました。
これは世界的にも画期的な発明だったんです。

立役者その2:小玉スイカの登場(1969年)
1969年、ナント種苗という会社が、小ぶりで扱いやすい小玉スイカ「紅こだま」を発売。
これが大ヒットしました。

立役者その3:そして「冷蔵庫」の普及
ここが大きいんです。

戦後、各家庭に冷蔵庫が普及したことで、スイカを「冷やして食べる」ことが当たり前になりました。

しかも小玉スイカなら、冷蔵庫にもすっぽり入る。

「品種改良で甘くなったスイカ」を、「冷蔵庫でキンキンに冷やして」、「家族みんなで食べる」――

この組み合わせが完成したことで、スイカは一気に日本の夏の主役へと駆け上がったんですね。

つまり、今僕たちが楽しんでいる「冷えた甘いスイカにかぶりつく夏」は、わりと最近、ここ数十年で完成した文化なんです。

なんだか、ちょっと意外じゃないですか?

まとめ:スイカの一切れに、4000年のロマンが詰まっている

スイカ歴史

長い旅、お疲れさまでした。
スイカの歴史を、ざっとまとめてみますね。

  • ふるさとはアフリカの砂漠。「歩く水筒」として生まれた
  • 紀元前4000年ごろから栽培。古代は甘くなく、種を食べていた
  • 「西瓜」の名は、西(中央アジア)から中国へ伝わった旅の記録
  • 日本へは戦国〜江戸初期に伝来(諸説あり)。普及は江戸後期から
  • 今の「甘いスイカ」は品種改良のたまもの。実はわりと最近
  • 種なし・小玉スイカと冷蔵庫の普及で、戦後に「夏の定番」が完成した

いやー、調べてみて本当に面白かったです。

何気なく食べているスイカの一切れに、アフリカの砂漠から始まる4000年の旅と、たくさんの人の工夫が詰まっている。

そう思うと、今年の夏のスイカが、ちょっと特別なものに感じられませんか?

ちなみに、品種改良がここまで進んだ現代では、産地や品種によって味わいが本当にさまざまです。

うちのショップでも、熊本・岡山農園さんの春スイカから、長野・むらかみ農園さんの夏スイカまで、こだわりの農家さんが育てた美味しいスイカを取り扱っています。

4000年の歴史の「最先端」の味、ぜひ今年の夏に味わってみてくださいね。

→ 農家直送のこだわりスイカはこちらからご覧いただけます

※【参考】夏に旬を迎える、山形・むらかみ農園さんのスイカについてはこちらをどうぞ。
→ 山形・むらかみ農園のスイカ、いよいよ予約受付スタート!尾花沢の夏スイカ5品種を紹介

本日は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ときわオンラインのヨシハマでした。
それでは〜!

このサイトは、農家直送のフルーツショップ「ときわオンライン」が運営する、フルーツお役立ちサイトです。

ショップでは、安心安全にこだわった農家さんの『無農薬フルーツ』やスーパーに出回ることのない『新品種のフルーツ』など取り揃えています。ご興味があれば見にきて下さい。

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  • この記事を書いた人

ヨシハマ リョウジ

農家直送フルーツショップ「ときわオンライン」店長
スーパーでは手に入らない『無農薬フルーツ』や『地域オリジナル品種』のフルーツを探し求めて、全国の農家さんに会いにいっています。
夏場は石垣島にある「ときわマンゴー園」で農家として収穫作業。
また、「国産バナナを日本の食卓に広めたい!」という夢があり、石垣島で無農薬バナナを育てています。

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