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果物語(くだものがたり)

パイナップルの歴史——南米の森から石垣島の畑へ、そして今

こんにちは、ときわオンラインのヨシハマです。

今回は、パイナップルの歴史についてじっくり調べてまとめました。

石垣島のパイナップルを取り扱っていると、

「そもそもパイナップルって沖縄が産地なの?」とか「ハワイ種ってハワイじゃないの?」とか、

お客さんからいろいろ聞かれることがあるんです。

調べてみたら、パイナップルの歴史って本当に深くて、かなり面白かったので、

ちょっと長くなりますが、最後までお付き合いください(笑)

パイナップルはどこから来たのか——南米での誕生と世界への旅

起源は南米の熱帯雨林

パイナップル(学名:Ananas comosus)の原産地は南アメリカです。

ブラジル南部・パラグアイ・アルゼンチン北部にまたがる地域が長らく有力とされてきましたが、

近年の遺伝子研究では南アメリカ北東部のギアナ高地周辺が発祥地という説も出ています。

先住民のトゥピ・グアラニ族はこの果物を「naná」——「優れた果物」という意味で呼んでいました。

ペルーでは紀元前1200〜800年頃の遺跡からパイナップルの痕跡が出土していて、

マヤ文明やアステカ文明でも栽培・利用されていたことがわかっています。

数千年もの間、パイナップルは南米の人々の暮らしの中にある果物だったんですね。

コロンブスが運んだ「松ぼっくり」

パイナップルがヨーロッパへ渡るきっかけとなったのは、1493年11月4日のことです。

コロンブスの第2回探検隊がカリブ海のグアドループ島に上陸し、

先住民が栽培していたこの奇妙な果物を初めて目にしました。

外見が松ぼっくり(スペイン語で「piña」)に似ていることから「piña」と命名し、

スペインへ持ち帰ってイサベル女王に献上したんです。

ヨーロッパの人々はこの南国の果物に熱狂しました。

熱帯でしか育たないため栽培は困難で、輸送中に傷むリスクも高い。

そのため17世紀のヨーロッパでは、パイナップル1個が現在の価格換算で数千ポンドにも相当する超高級品だったんです。

宴会では食べずに飾りとして使われ、翌日別の宴会に「貸し出す」サービスまで存在したというから驚きですよね(笑)

パイナップルを所有することが、財力と権威の証だった時代です。

ハワイが世界の中心になった時代

ポルトガルやスペインによって16世紀末までに熱帯アジア全域にパイナップルが広まり、フィリピンにも伝わりました。

決定的な転機は、世界最重要品種「スムースカイエン」がハワイで大規模に栽培されるようになったことです。

ドールやデルモンテといった大企業がハワイで大規模農園を開き、

20世紀中頃にはハワイが世界のパイナップル生産量の約80%を担うまでに成長しました。

「ハワイアン・スムースカイエン」という名でこの品種は世界に広まり、やがて日本にも届くことになります。

日本とパイナップルの出会い——漂流した苗と明治の文明開化

複数の「初上陸」説

パイナップルが日本に初めてやってきた時期については、複数の説があります。

  • 1830年説:小笠原諸島の父島に初めて植えられたとする記録
  • 1845年説:オランダ船が長崎に持ち込んだとする記録
  • 1866年説(最有力):石垣島沖でオランダ船が座礁し、積み荷のパイナップル苗が川平湾に漂着。島民がそれを拾って栽培を始めた

どの説が正確かは資料によって異なりますが、いずれにせよ幕末から明治初期にかけて、パイナップルは日本の離島に姿を現し始めました。

ただ当初は思うように育たず、ごく小さな果実しか実らなかったそうです。

熱帯の植物を亜熱帯の石垣島で育てることは、そう簡単ではなかったんですね。

高嶺の花から庶民の食卓へ

明治・大正期の日本でも、パイナップルはヨーロッパと同様に「富の象徴」でした。

缶詰が主な流通形態で、贈答品としてのみ使われる非常に高価な食品だったんです。

ところが大正2年(1913年)頃の記録には、夜店でパイナップルが1個1〜5銭で売られていたとあります。

庶民が手の届く価格になり始めた時代の記録ですね。

産業史において重要なのは、台湾との関係です。

1895年に日本が台湾を統治し始めると、大阪出身の岡村庄太郎が渡台してパイナップル缶詰の研究を始めました。

1902年には高雄・鳳山に「岡村鳳梨缶詰工場」を設立——これが台湾初のパイナップル缶詰工場となりました。

第一次世界大戦後に需要が急拡大し、台湾産パイナップル缶詰の約9割が日本本土へ輸出されるようになりました。

その後、1923年にスムースカイエン種が台湾へ導入され、

1927年には沖縄本島の本部町伊豆味にも同品種が持ち込まれました。

これが沖縄での産業栽培の出発点です。

石垣島とパイナップル——奇跡の出会いと黄金時代

台湾からの移住者が運んだ苗

1935年。日中戦争の足音が近づく中、台湾でパイナップル生産が難しくなり始めた時期、

台湾の経営者・農家たちが苗を携えて石垣島へと渡ってきました。

同年7月、台湾の員林出身の曹清権らの主導のもと、謝元徳・林発・誉益候の3人の経営者が石垣島に移住。

10月には大同拓殖株式会社が設立され、石垣島に直営農場を開いてパイナップルの栽培と缶詰加工事業が始まりました。

林発氏など53農家も台湾から移住し、石垣島のパイナップル農業の礎を築いたんです。

日本初の国産パイナップル缶詰が誕生

1938年、石垣市に缶詰工場が建設され、500ケースのパイナップル缶詰が出荷されました。

これが日本初の国産パイナップル缶詰です。当時はすべて手作業による製造でした。

その後、太平洋戦争でいったん生産は途絶えますが、1946年に栽培を再開。

沖縄がまだ日本に復帰していなかった1949年(昭和24年)には缶詰生産を本格的に再開し、

本土への「輸出」という形で全国に出荷されるようになりました。

戦後復興とともに缶詰需要が増加し、石垣島を含む沖縄では次々と缶詰工場が建設されていきます。

サトウキビと並ぶ「二大基幹作物」として、パイナップルは沖縄経済を丸ごと支える産業に成長したんですね。

歴史的最盛期——年間10万トンの時代

1960年代に入ると、パイナップル産業は沖縄全体を代表する産業となりました。

1969年(昭和44年)、沖縄全体のパイナップル生産量は年間約10万トンに達しました。

これが沖縄のパイナップル産業の歴史的ピークです。

石垣島・宮古島・西表島・沖縄本島北部など、沖縄各地で広く栽培されました。

この時代、石垣島を訪れると、見渡す限りパイナップル畑が広がっていたそうです。

工場からは缶詰の甘い香りが漂い、農家も工場労働者も皆パイナップルで生活を支えていた時代でした。

「ハワイ種」の謎——なぜ石垣島のパインがハワイ?

石垣島を代表するパイナップル品種が「シマパイン(ハワイ種)」です。

地元の方言で「シマ(島)のパイン」という意味なんですが、なぜ「ハワイ種」という別名がついているのでしょうか。

これには少し込み入った品種の歴史があります。

まずベースとなる品種「スムースカイエン」はもともとフランス領ギアナ生まれですが、

前述のようにハワイでドールやデルモンテが大規模栽培したことで「ハワイアン・スムースカイエン」として世界に知られるようになりました。

1958〜59年(昭和33〜34年)、琉球政府経済局がハワイからこのスムースカイエン種の種苗を導入し、

沖縄の農家での栽培が始まりました。

その後、沖縄県農業試験場名護支場が在来のスムースカイエン系統の中から優良個体を選抜・分系し、

1967年頃に「N67-10」と命名。1983年に品種登録出願、1985年に正式品種登録されました。

「ハワイ種」という通称は、「ハワイから持ってきた品種」という由来からそのまま定着したんです。

沖縄の農家が「ハワイから来た苗で作ったから」と呼び続けたことで、まるで品種名のように使われるようになったということですね。

分子マーカーを用いた遺伝子研究によれば、N67-10とハワイアン・スムースカイエンは遺伝的にほぼ区別できないほど近いそうです。

「沖縄の地に根づいたハワイの血筋」ともいえる品種ですね。

シマパイン(ハワイ種)の特徴

  • 果実重:1〜1.5kg程度、円錐形
  • 甘みと酸味のバランスが良く、果汁が豊富
  • 完熟すると果肉がとろけるような柔らかさ
  • 生食・缶詰・ジュースのいずれにも適する
  • 収穫期:5月下旬〜7月下旬(旬は6月中旬〜7月中旬)

輸入自由化という嵐——工場の灯が消えた日

1972年、本土復帰が転換点に

1972年の沖縄本土復帰は、パイナップル産業にとって複雑な意味を持つ出来事でした。

日本本土の市場に正式に組み込まれることで販路は広がる一方、

本土企業との競争や流通コストの増大という問題も生じました。

同時期に起きたオイルショック(1973年)は生産コストを直撃し、最盛期と比べて生産量は大きく落ち込んでいきます。

決定的な打撃——1990年の輸入自由化

しかし最大の打撃は1990年に訪れました。

ウルグアイ・ラウンドの合意に伴い、パイナップル缶詰の輸入が完全自由化されたんです。

フィリピンなどの熱帯諸国では人件費が安く、広大な農地で大規模栽培が可能です。

自由化によって安価な輸入缶詰が大量に流入し、コスト競争で国内生産は対抗できなくなりました。

石垣島を含む八重山地方では缶詰工場が次々と閉鎖に追い込まれ、

1996年(平成8年)に最後の工場(宮原食品)が閉鎖しました。

かつて甘い香りを漂わせていた石垣島の工場地帯は、静かになりました。

現在、沖縄県内でパイナップル缶詰を生産している工場は沖縄本島北部の東村にある1工場のみ

石垣島のパイナップル缶詰工場は、今や一件も存在しません。

激減した生産量の推移

生産量 備考
1969年(最盛期) 約10万トン 歴史的ピーク
1990年 大幅減少 輸入完全自由化
1996年 石垣島最後の工場閉鎖
2011年 約6,350トン
2022年 約7,420トン 微増傾向
2023年 約7,618トン

現在、日本国内で流通するパイナップルのうち国産品はわずか約4%

残る96%以上はフィリピン産などの輸入品です。

2021年に中国が台湾産パイナップルの輸入を停止したことで、台湾産の日本向け輸出が急増したことも記憶に新しいですよね。

品種開発という逆襲——新世代のパイナップルたち

缶詰産業が衰退した後、沖縄のパイナップル農家と沖縄県農業研究センターは方向転換を図りました。

輸入品と同じ土俵で戦うのをやめ、「輸入品では絶対に真似できない、高品質な生食用品種を作る」という方針への転換です。

この戦略から生まれたのが、現代の沖縄を代表する個性豊かな品種たちです。

ピーチパイン(正式品種名:ソフトタッチ)

1999年(平成11年)に品種登録されたピーチパインは、その名の通り桃のような甘い香りが特徴の品種です。

「ミルクパイン」という別名もあります。

一般的なパイナップルは芯が硬くて食べられませんが、ピーチパインは芯まで柔らかく甘いのが特徴です。

  • 果肉が白く、糖度12〜15度
  • 外皮が赤みを帯びてきたら食べ頃(追熟タイプ)
  • 大きさ400〜800gとやや小ぶりで希少性が高い(国産中、流通量10%以下)
  • 主産地:石垣島・西表島(収穫期:4月中旬〜6月中旬)

サンドルチェ(正式品種名:沖農P17)

2017年(平成29年)に品種登録されたサンドルチェは、沖縄県が約15年の歳月をかけて開発した品種です。

名前は英語の「Sun(太陽)」とイタリア語の「Dolce(甘い)」を組み合わせた造語で、沖縄県が商標登録しています。

  • 糖度19度以上(一般品種の平均13〜15度を大幅に超える)
  • 酸度0.64%と低く、食後のイガイガ感がほとんどない
  • 果実重800g以上(出荷基準)の樽型、台風に強い品種設計
  • 主産地:石垣島・西表島(収穫期:5〜11月と長い)
  • 農家直送で1玉5,000円前後という高級品

 

※【参考】→サンドルチェの詳しい記事はこちら

ホワイトココ(正式品種名:沖農P19)

2021年(令和3年)に品種登録されたホワイトココは、約20年以上の開発期間を経て誕生した最新鋭品種です。

2000年にピーチパインの親品種「ゆがふ」とピーチパイン(ソフトタッチ)を交配させることからスタートし、

2003年に第1次選抜、2008年に地域適応試験を開始しました。

  • 名前の由来:白い果肉(White)+ヤシの実のような香り(Coco)
  • 糖度16.1%以上(中心部では19.5%にも達する)
  • 果実重1.5kg程度と大玉タイプ
  • まだ生産者がごく少ない超希少品種

ピーチパインとサンドルチェを親に持つサラブレッドとして、次世代を担う品種として注目されています。

 

※【参考】→ホワイトココの詳しい記事はこちら

スナックパイン(ボゴールパイン)

台湾原産の「ボゴール種(台湾4号)」で、最大の特徴は手で一節ずつちぎって食べられる独特の食べ方です。

糖度は15度前後(石垣島産は本島より約2度高い)。

缶詰主体の時代から生食重視に移行した際に再評価され、観光地での体験型消費として定着しました。

国産パイナップルの今——4%の誇りと未来

現在、日本でパイナップルを栽培できる地域は事実上沖縄県のみです(鹿児島県でもごくわずかに生産)。

高温多湿・酸性の赤土・水はけのよい土地が必要で、沖縄の中でも東村・石垣島・西表島・名護市周辺などに限られます。

国内生産量は2023年に約7,618トンと国内消費の約4%にすぎませんが、

高品質な生食用品種への転換と高付加価値路線によって農家の所得は守られつつあります。

農家の高齢化や後継者不足、台風リスクといった課題は残りますが、

新品種開発の成果と産直ECの普及が新たな活路を切り開いています。

まとめ

南米の熱帯雨林に生まれ、コロンブスの船でヨーロッパへ渡り、ハワイの大農園で改良され、

台湾を経て石垣島の赤土に根付いたパイナップル。

缶詰産業として栄え、輸入自由化の波に飲み込まれながらも、

品種開発という形で「第二の産業」として蘇りつつあるんですね。

スーパーで手軽に買える輸入パイナップルも美味しいですが、

沖縄の農家が何十年もかけて開発した国産品種は、確かに一線を画す味わいがあります。

ピーチパインの桃のような香り、サンドルチェの溢れる甘さ——

一度食べると「これがパイナップル?」と驚く方は少なくないですよ。

石垣島産のパイナップルに興味を持った方は、ぜひ下のリンクからのぞいてみてください。

→ 石垣島産パイナップル(セイモリファーム)はこちら

本日は以上です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ときわオンラインのヨシハマでした。

それでは〜!

 

 

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